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| 式内社。敢国神社は、中世には少彦名命あるいは金山比 |
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【御由緒】 |
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古代伊賀地方には外来民族である秦(はた)族が多数住んでおり、彼等が信仰する神が当社の配神である少彦名命(すくなひこなのみこと)でありました。当時は現在の南宮山頂上付近にお祀りしていましたが、創建時には南宮山より現在地に遷してお祀りして現在に至っています。私達伊賀人はこの二神の混血の民族でもあります。 |
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| 創建後、南宮山の少彦名命の社殿が山の下に遷された跡地は、新しい神社創建に当たっては混血の一族の有力者の人達の頭を悩ましたことであろうと思われます。結局、美濃国の南宮社の社神である金山媛命(かなやまひめのみこと)を、旧少彦名命のお社に勧請致しました。 この頃「南宮山」という名がついたのではないかと推測されます。 その南宮山の金山媛命が、敢国神社の本殿に合祀されたのは、創建時より319年後の977年のことです。 ある日突然金山媛の社殿が、激しい音をたててゆれ、止むと同時に社前の御神木の幹に、虫食い痕が文字となって現れ「興阿倍久爾神同殿」という八文字でした。神官の報告を受けた当時の伊香守高則は、早速主家の藤原兼家に報告、直ちに神慮に従って金山媛命の遷座合祀が行われました。 こうして当社は三神をもって敢国神社・敢国津大神(あえくにつおおかみ)となって現在に至っております。
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境内社・末社 |
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![]() 大石社 |
![]() 市杵島姫社 |
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むすび社 縁結社 本殿西方に御鎮座の縁結社は縁結びの神として信仰が厚い。 |
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![]() 若宮八幡社 |
![]() 神明社 |
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![]() 楠社 |
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| 南宮山上に御鎮座の木華開耶姫命(このはなさくやひめのみこと・安産の神)を祀るこの浅間社から遷したと伝う霊岩で今も安産の守護神子授けの神として信仰をあつめています。 | ![]() 桃太郎岩 |
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