| 熱田神宮 あつたじんぐう 御祭神 熱田大神 (相殿)天照大神、素盞嗚尊 日本武尊、宮簀媛命 建稲種命 鎮座地 愛知県名古屋市 熱田区神宮1-1-1 |
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御祭神の熱田大神とは、草薙神剣を御霊代として憑らせられる、天照大神のこと。 |
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| 日本武尊は、尾張国造乎止与命の子建稲種命を一軍の将として従え、東国平定ののち、尾張国造の館に留まり、その女<むすめ>宮簀媛命を妃としたが、やがて神剣を国造館に留めて置かれて、近江国伊吹山の賊徒平定に向かったときに病となり、伊勢国能褒野<のぼの>で没した。 宮簀媛命は、残された草薙神剣の霊威を畏み、景行天皇四十三年、尾張一族が斎場としていた吾湯市の熱田に卜<うらな>いを定めて、神剣を奉安せられた。これが熱田神宮の起源とされる。以後、尾張氏が祠官として奉仕した。 天智天皇七年(668)、新羅国の僧道行がひそかに神剣を盗んで国へ帰ろうとしたが、風波のため難波に漂着し、事なきをえた。以来神剣は皇居にとどめられたが、朱鳥元年(686)勅命により熱田に奉遷せしめられ、これより社守七員がおかれ、内一人を長として、この年遷宮が行われた。弘仁十三年(822)に従四位下の神階を授けられ、のち康保三年(966)には正一位となり、 『延喜式』では名神大社に列した。 源頼朝は、母が熱田大宮司の娘であることから、外戚神として篤く崇敬した。その後も武家の信仰を集め、足利、織田、豊臣、徳川の諸氏も社殿修造などにつとめた。 江戸期には御供料領四百五石、大宮司領七百十七石があった。明治に入り角田忠行らの努力で伊勢神宮につぐ「第二の宗廟」の地位となった。 本殿は神明造で、昭和二十八年の「第五十九回式年遷宮」により古殿となった、伊勢の神宮内宮、正殿の譲渡を受け、屋根を銅板葺、柱を礎石建に改め、昭和三十年に再建された。 年間約60回の恒例祭典と、約10回の特殊神事がある。例祭は、六月五日。 |
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![]() 八剣宮 |
![]() 南新宮社 |
![]() 乙子社 |
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![]() 孫若御子神社 |
![]() 日割御子神社 |
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| 境内・境外を含め約八万五千坪の広さの中に本宮・別宮八剣宮をはじめ、式内十社を含む四十三社の摂末社が鎮座する。 | |||||
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