● 辰の市の女
 奈良市東九条町(旧添上郡辰市村東九条)
 辰の市が開かれたころ、うわさにのぼったひとりの美人があった。
このふしぎな女が通りすぎると、市場の多くの品物が必ず紛失していた。
人々は怪しんで、その女を捕まえて殺した。
女は龍の姿になって、尾から一口の名剣をあらわしたという。(辰市村史)



● 蛇塚 奈良市西九条町(旧添上郡辰市村西九条)
 西九条町の中ほどに塚がある。昔、この村では毎年、倭文神社の例祭に子供を供えることになっていたが、供えた子供は、いつも帰ってこなかった。
 ある年、この村に六郎という、たいへん勇気のある人がいて、
「わたしがこの災難を救おう。」
と、宵宮の夜、宮の森の中にただひとり、白木の棺に入っていると、夜中に大蛇があらわれ、六郎に迫った。六郎は勇気を振るい、刀をぬいて大蛇をさし殺した。
 村人たちは尾を宮の西側に、頭と刀は宮の北側の空地に埋めたという。
 今も、お祭りには、小麦藁で五メートルもある大きな蛇をつくり、町内を担ぎ歩いたうえ、神社の境内におさめ、十月十六日の祭典の際、これに点火することになっている。なお当日の神饌にもサトイモの茎で蛇をつくり供えることになっている。 (山口正躬)


蛇塚社
倭文神社境内に鎮座する蛇塚神社
● 沾間《うるま》の清水
 奈良市東九条町の東の方にあって、村道の南側、忠魂碑の隣にうるまの清水がある。弘法大師が掘ったという話は添上郡辰市村東九條の弘法井戸に出ているが、この清水はお茶によく合うというのでよく汲みに来た。これを汲みにくる女官に、松の木から鬼の面をつけて、おどかしたものだという。(辰市村史による)
● ちまきを作らぬ村
 春日山原始林を超すと、奈良市誓多林《せたりん》町があり、端午の節句に、ちまきをつくらない農家がある。これは昔、弘法大師が諸国を回ってこの地にこられた時、ある農家がちまきをつくっていたので、弘法大師は空腹のあまりそれを請うたが、そこの人は何と思ったのか断わった。そこで大師は、
 「そのような心がけなら、ちまきも蛇になってしまうだろう。」
といって立ち去った。驚いて釜のふたを取ってみると、ちまきがみな、蛇となっていた。それから、この土地の人々は弘法大師の神通力を恐れて、ちまきを作らなくなったという。(大谷進一)
● 長谷の金鶏塚
 旧田原村、今は奈良市の長谷町の藤村家の東北三百メートルの山頂に、径一〇メートルあまりの円墳がある。後醍醐天皇が笠置から吉野へ難をさけられる時、この藤村家で休まれた。その時、天皇から金鶏をたまわり、建物に菊と桐の紋を使うことを許されたという。この金鶏を埋めてあるのが、この金鶏塚で、毎年、元旦には時を告げるといい、藤村家の長押《なげし》には、今も釘かくしに菊と桐の紋が使われている。(田原村風俗誌による、大谷進一)
● 大柳生の金鶏塚
 奈良山中の大柳生と阪原の境に径一〇メートルほどの円墳がある。毎年、元旦には金の鶏が出て、時を告げるという。この塚の北側低地、今の奈良高等学校分校(大柳生分校/昭和49. 3.31廃止)のあたりを「月の輪」といって、人々はたたりをおそれたものである。(大柳生村史による)
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