源九郎稲荷神社 げんくろういなり
別称 保食神社

ご祭神 宇迦之御魂神(保食神)

鎮座地 奈良県大和郡山市洞泉寺町


● 源九郎狐
● 綿帽子を買った狐
 
 創立・由緒不詳。長安寺村に草庵を結んでいた僧宝譽に、一夜、夢枕に立った白狐が老翁の姿となって「われを郡山城の巽に祀ってくれるならば、守護神となって、城を守るであろう」と告げたので宝譽は、城主豊臣秀長にこのことを語り、秀長は城内竜雲郭に祀ったといわれている。現社地に遷ったのは享保四年(1719)である。源義経が兄頼朝の討手を逃れて、吉野山に落ちのびたとき、白狐が佐藤忠信に化けて、側室静を送り届けたので、義経は謝意から源九郎の名を贈り、それが社名の由来になったなどの話が伝わっている。土地の人々から「源九郎さん」の呼び名で親しまれている。
〜伝説〜
 天正十三年(1585)九月豊臣秀長は、郡山城に入った。彼は城の南に宝譽上人という高徳の僧がいると聞き、城内に招いて法説を聞いて感服し帰依した。上人はある夜、源九郎と名乗る白狐が白髪の老人の姿で現われ、郡山の南の御堂を建て、茶枳尼天を祀れば守護神になろうといったことを物語ったところ、秀長は上人に御堂を建ててやり、上人は三河挙母郡山霞渓山洞泉寺の寺号をここに移し、自ら源九郎茶枳尼天の像を刻み、境内の別の祠堂に安置して日夜勤行を怠らなかった。

 秀長は源九郎の神通力を試そうとある日、上人に命じて、源九郎を呼び寄せたところ、源九郎は裃を着用し、一族を連れて登城し秀長の前で霊験を示した。驚嘆した秀長は洞泉寺境内に神祠を建てて源九郎狐を祀らせた。元和元年(1615)四月、大坂夏の陣の戦いで、大野主馬が郡山を夜襲焼討し、火が城の内外を焼き尽くそうとした時洞泉寺住職天誉和尚が源九郎天に祈願すると、その霊験により鎮火したので、民衆の信仰は一層深まった。江戸時代には、その信仰は全国的になり、諸国からの参詣者が絶えなかったといわれる。
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