波宝神社
はほう

御祭神 上筒之男命、中筒之男命、底筒之男命
    息長帯日売命(神功皇后)

鎮座地 奈良県五條市西吉野町夜中


 

● 阿知賀物語

 古来、銀峯山上に鎮座の社であるとされる。朱色の鳥居をくぐると急坂が続き、しばらく走るとお宮さんの広庭に出る。
 ご祭神の息長帯日売命(神功皇后)は、後に配祀されたのであろうと伝えられる。神功皇后が三韓からお帰りになり、南紀に赴き給う途次、この山に休まれた時に白昼であるのに、にわかに夜中のごとく暗くなった。そこで神に祈らせられると、ようやく日が照りだし明るくなった。それでもともと安場(安葉)といったのを夜中と呼ぶこととなったと伝えられるが、息長帯日売命が本社に合祀されたのは、こうしたことからであろうと思われる。

 本社は「神蔵宮」とも称し、古田荘十二村の氏神である。「古田大明神」又は「若桜宮」とも称し、大宝元年(701)役行者がこの山に入り、秘法を行うと神女が現れ、国家を鎮護し群衆を化導すべしと告げ、石室へ入ったので以後神蔵大明神と称し、行者の行場となり、大峯山参詣先達は毎年入峯し修法を為す旧例がある。

奈良県指定有形文化財 
     波宝神社 本殿二棟

 ここ白銀岳(六一二米)は、古代から神の山として信仰を集めていたようであるが、当神社は平安時代になって、天安二年(八五八)に官社となり、延長五年(九二七)の延喜式神名帳にしるされる古社である。上来、大峯修験と深いかかわりを持ち、また境内には、明治初年まで「銀峯山神功寺」があった。
 祭神は、住吉大明神と神功皇后とされている。現本殿は。江戸時代、寛文十二年(一六七二)の再建で、左右二殿より成る。各一間社一つづきの建物のようになっている。春日造社殿をつなぐ他の例に比べて、当本殿の場合、縁廻りなど一体感の強い構成となり、連棟社殿形式の展開を示す遺構として、その資料的価値は高い。県内における十七世紀の特異な形式の神社本殿として重要である。
      西吉野村教育委員会

ー境内の案内板からー
ご本殿の建物は人皇第百十二代□元天皇(霊元天皇?)の寛文十二年(徳川五代将軍綱吉公の時代)昭和六十年から逆算して三百十二年前に改造完成したもので、その後桧皮屋根替工事は慶応二年及大正二年八月と最近では昭和三十六年八月に大修理と共に完成したものであります

右の御社殿には住吉大明神(底筒男命、中筒男命、上筒男命)を御祀り申し上げて居ります 住吉の大神様は伊弉諾尊が筑紫の日向の橘の小戸の檍原に祓除せられた時に(※中略・読み取れない字)神様であります (※中略)別の・神・・航・交通の守護の神様であります

 左の御社殿には人皇第十四代仲哀天皇様の皇后息長帯日売命(神功皇后)を御祀り申し上げてあります 皇后は新羅御遠征に当って住吉大神の御加護を得て大いに國威を輝かせられ御凱旋の後大神の御神託に依って此の地に御鎮座になりました  神功皇后の御功績の有りましたのは十五代應神天皇時代で今から約千七百八十年前になります

 明治初年まで境内にあった神宮寺について、文化二年に社僧閑暁が奧院を創建し、不動明王を祀ったとある。石土を以し窟に模し、壁に羅漢の像を彫刻していたが、明治維新に奧院を廃し、仏像仏具などは 漸次白光院に移し、後氏子寺院に移したという。
 境内に藤島神社・稲荷神社・琴比羅神社・水神社(祭神 ミズハノメノ命)・菅原神社がある。祖霊社は明治十年新設、村内神道家の祖先を祀る。
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