| 葛木坐火雷神社 かつらぎにいますほのいかずち
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| 葛木坐火雷神社は『延喜式』神名帳に見られる大社で、祭神を火雷神・埴安姫の二神とする。 神名帳には「並名神大。月次相嘗新嘗」とあり、大和でも屈指の古社ではあるが、律令体制がくずれて行くなかでいつしかおとろえていった。宝永七年(1710)の笛吹神社「除地神主屋敷之事」(笛吹・持田篤文文書)には、 (神主屋敷) (上略) 右者八百五十一年前清和天皇貞観元年正月ニ禁廷様御祈ニ付、 笛吹大明神之傍火雷社江被授従ニ位ヲ候節拝領之除地 (下略) とあり、文言をそのまま採ることはできないが、すくなくとも中世以降は相殿の笛吹神社にこの地方の祭祀の中心的役割を奪われるようになっていたことはたしかであろう。 いっぽう、相殿に坐する笛吹神社は式外社であり、明治七年(1874)の「郷社取調帳」(奈良図書館所蔵文書)では、祭神を天火明命・天香山命・天津彦火々瓊々杵命・高皇産霊命・大日霊命の五神とする。このうち天火明命・天香山命の二神は『新撰姓氏録』河内国神別の部に、 笛吹火明命之後也、とあり、また吹田連の項には、火明命児天香山命之後也、とあることなどから、笛吹連の祖であるとされていたのである。この社の創建年代はもちろん不明だが、笛吹連の氏社という神社の性格から、式外社ではあっても相当に古い時期にまでさかのぼることができるだろう。 さて、江戸時代になると笛吹神社は『大和志』に「笛吹村十四村民家相共祭典」とあるように、脇田・薑・新町・南花内・忍海・西辻・林堂・山田・平岡・山口・梅室・笛吹の現新庄町域各村と東辻・北十三・今城(現・御所市)の十五ヶ村の宮郷によって祭祀が営まれていた。 天香山命を祭神とする笛吹若宮社が、薑・新町・南花内・山口各村に分祀され、他に今城村にもあった。 |
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| 初詣に出掛けてみると、笛(尺八)の奉納がありました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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