![]() |
||||||
| 井光神社 いかり 鎮座地 奈良県吉野郡川上村井光 ご祭神 井光神 (井氷鹿[いひか]) 「新撰姓氏録」では 『水光姫』とあります。 末社 伊勢豊受大神社・愛宕神社・祇園神社 |
||||||
「日本書紀」神武天皇即位前紀戊午年八月条によると、吉野首の祖「井氷鹿(井光)」が井中より出て、神武天皇を迎えたとあります。「井氷鹿」は吉野郡川上村井光の地名として残っています。井氷鹿は、神武天皇の御東征の際、光かがやく井戸、泉から出てきた尾のはえた国津神です。一名、井光神ともいいます。神武天皇が熊野から北進して大和に入り、兄猾を征して菟田穿邑より吉野に入られたときのことです。 贄持之子の次に出会ったのが「尾のある人」であったと『古事記』には書かれています。これを『日本書紀』では「光りて尾あり」としています。おそらく臀部に何かを下げていたのでしょう。 『古事記』はさらに、その尾のある人が井から出て来たが、その井は光っていたと書いています。 神武天皇が「お前は誰か」と問われると、「私は国津神で、名は井氷鹿」と答えました。『日本書紀』には井光(いひか)と出ています。そして、吉野首等(よしぬのおびとら)の祖なりとあります。 井中から出てきた、井氷鹿について 【川から〜説】 昔の井は、川岸に桁(木で井の字形に組んだもの)を出してそこで食料をはじめすべての洗いものをした。山の根を穿って作る横井戸は、かなりの後世のことでありまた、釣瓶を用いて水を汲み上げる縦井戸は、江戸時代中期以降のことである。そのようなことから、「井氷鹿が井から出てきた」ということは、川から上がってきたということだと考えられるという説。【水銀坑口説】 光ある井戸とは、水銀の形容ではないか。それは表土に露頭していた朱砂を掘りすすめたために生じた堅坑であって、あるいは自然水銀が坑の側面や底面で、点々と光っていたかもしれない。古代吉野地方で穴を掘り鉱石を探る人々が、その尻に獣皮から成る尻当てとか又は尾状の照明具の類をつけていたのかもしれない。「氷鹿」は「光る」の語幹。尾がある人は、鉱夫や樵夫が獣皮の尻当てをしている姿をいい、光のある井戸とは水銀の坑口をさすか。吉野川上上流の丹生川の「丹生」は、水銀の朱砂(辰砂)を産出することに基づく名。そのために赤く光 るのである。したがって「井氷鹿」はそれを採掘する鉱夫の名となる。祭神の「水光姫」も水銀の光に基づく名であろうという説。 〜「吉野の井光と川上」より〜 |
||||||
| BACK | ||||||