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地御前神社 じごぜん ご祭神 市杵島姫命 田心姫命湍津姫命 鎮座地 広島県廿日市市地御前5丁目 |
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| 祭日 陰暦五月五日 御陵衣祭。雅楽舞「後の舞」 陰暦六月十五日 管弦祭御洲堀神事。 陰暦六月十七日 厳島御本宮管弦祭。 管弦祭では、厳島神社から鳳輦を乗せた御座船を三隻の漕ぎ船が引き、地御前神社前の池に導いて祭典が行われる。 |
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ご祭神は、厳島神社の本社のご祭神と同じく、市杵島姫命を中心として、田心姫命、湍津姫命の所謂宗像三女神を奉斎している。 御鎮座の年代は詳ではないが、社伝には厳島神社(御本宮、内宮)と同じといい伝えられ、すなわち本社御鎮座の年、推古天皇の端正元年大歳癸丑の年である。 |
| 明治維新までは、厳島神社本社を内宮、地かたの御前の本社を外宮と称されていた。御奉斎の厳島大明神は「道主貴」と称え奉り、天孫を助け奉り、常に天孫のために海陸の安全を斎奉り給う神なれば、古来皇室及び国家の鎮護、海陸の守護神として、盛んに、上下の尊信敬拝を受けさせ給う。 厳島本社の御鎮座記によれば「佐伯の郡の住人佐伯鞍職に幽事を治め、百王を鎮護す」と示現ありしという。この御鎮座の所を合浦という。 |
![]() 改修工事の最中でした。 |
![]() 弁財天の絵馬額 |
元々厳島は、厳島大神の御鎮座として、島そのものを神と崇め、社殿創建後も人は住んでいなかった。神社奉仕者も例外ではなく、 祭典の時は、船で往復した。風波のある時は、渡海が困難なため、対岸にも社殿を建て、ここで祭典を行った。それが、「島の御前」に対する「地の御前の社」である。鎌倉中期以後、島に人が住むようになってから、管弦船は先ず、宮島を出発して地御前神社に向かい、更に宮島に還ることになった。 広い拝殿には、あちらこちらに蘭陵王の図や、管弦祭の絵馬額などが奉納されていた。 |
御客人宮 |
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