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金剛寺境内に鎮座する。元無格社。 本殿、宝蔵、社務所がある。大正十三年(1924)に改築された。寄り合わさるように建っている覆い屋の左側には、牛頭天王神社が鎮座する。「自天勝公宮、永禄九丙寅冬十二月謹書北畠中納言具教(花押)」の額があったというが、昭和三十二年(1957)の火災で焼失したという。 現在も自天王の遺品(南北朝の太刀、長刀等)が残され、国の重要文化財に指定されている。 |
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| 自天親王神社は、室町時代前期、吉野郡の奥北川の流域に郷民に守護された、後南朝の皇族北山宮尊秀王を祭っている。伝説によると、後亀山天皇の子・小倉宮の三宮空因親王が還俗して尊義王となり、その一宮が北山宮尊義王といわれる。彼は、伯母峰峠を隔てた川上郷にいた二宮河野宮忠義王と相はかって、南朝回復運動をおこなったとされる。ところが、将軍足利義教殺害事件で廃絶とされた播磨の赤松氏の遺臣が、その再興をはかり、手がらをたてるため、長禄元年(1457)十二月二日、同時に両宮を襲って殺害するという事件がおこった。上北山小橡には北山宮の御座所の跡とされる滝川寺(竜泉寺)があり、境内に同宮の墓がある。 | |||||
| 金剛寺裏に河野宮墓がある。 明治の初め尊秀王墓と定められたが、明治四十五年 (1912)に忠義王墓と改められた。毎年二月五日の朝、「御朝拝式」と呼ばれる神事を執行する。庫裡にて座につき、自天親王神社に参拝に行く。供え物をして、玉串奉典をおこなう。その後、御陵に行き全員で拝礼する。そして、またもとの庫裡に戻り、鍵渡しを行い、続いて筋目総代の人により、「南帝王御宝物由来書」が読み上げられ、出仕人一同はそれに耳を傾ける。由来書には朝拝式の行事のいわれが記されている。 |
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