春日神社

鎮座地 奈良県橿原市
    大軽町字北垣内374

ご祭神 天児屋根命
 大軽町のほぼ中心に東面して、鎮座する。創立年代は明らかではないが、当社現存の金石文書最古の石灯籠に寛文十二年(1672)十一月吉日と刻銘があるので、遅くとも十七世紀中葉に存在したことがわかる。境内の太神宮形石灯籠に「太神宮 おかげ 文政十三年庚寅年(1830)」とあるおかげ灯籠が寄進されている。
「おかげまいり」とは、江戸後期から農民・都市住民のあいだに流行した伊勢参りをいう。
 伊勢神宮遷宮の翌年など特定の年に、庶民が仲間をつくり大挙して路銀を持たず沿道の人々の喜拾・庇護によって参宮したことで「抜けまいり」ともいった。帰村後これを記念して神社などに灯籠を寄進したのが「おかげ灯籠」である。

 境内の右側に「伝説地 応神天皇軽島豊明宮趾
大正四年十一月 奈良県教育会建之」との石碑が立つ。
「天飛ぶや軽の社の斎槻 幾代まであらむ隠妻そも」(巻十一ー二六五六) 作者 不詳
〜軽の社の槻(ケヤキの古名)のように、いつまで人目を憚って隠しておかねばならない妻なのであろうかという意味〜

 この自然石に刻まれた万葉歌碑は小清水卓二氏の揮毫。
 石垣壇上の本殿は素木の春日造り銅板屋根で、棟に千木鰹木をおく。棟札は第二次世界大戦後すべて焼却したという。

 当社の東南約200mの小丘陵上常緑樹の茂みの位置を俗に八幡さんと呼び、古来応神天皇の霊の鎮まる地として崇敬している。この聖地の南に北面した塚があり丸石がまつられてある。古来神殿なく、拝殿だけがあった。創祀年代も明らかでない。
 神霊はすでに春日神社へ合祀されたが、地元ではここを八幡屋敷と呼び、神木を奉祀して今日に及ぶ。
古来、土地をさわったり、枯木に触れても祟りがあるという。
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