天香山神社
あまのかぐやま

   
鎮座地 奈良県橿原市南浦町608
ご祭神 櫛真神
 社地は香久山の真北、南浦町字出屋敷の森に鎮座する。参道入り口の右に「式内大社 天香山神社」の石標が建っている。
『大和志』に「在二香具山ノ北ノ麓一属二南浦村一仍称二北浦ノ神一 石華表ノ扁額ニ曰天ノ香久山ノ命」とあり、『延喜式』神名帳に式内大社として登載されている。その割注に「元名大麻等乃知神」(おおまとのちのかみ)とあるが、『延喜式』「京中坐神三座大並」の中の「在京二条坐神社二座 並、月次相嘗、新嘗」の「久慈真智命神」の割注に「本社坐大和国十市郡 天香山坐櫛真命神」とあって、当社が在京の久慈真智命神の本社だと記している。

 当社は既に天平二年(730)の「大倭国正税帳」に神田一町歩を持ち、大同元年(806)に大和国に新封一戸を寄せられたと『新抄格勅符抄』に出ていて、古くから朝廷より尊崇された神であることがわかる。

 神名の「クシマチ」の神について『大和志料』中巻に「当社ハ彼ノ卜部等ガ国家ノ為ニ斎祀スル所ニシテ、櫛真智ハ兆ノ古語即チ鹿骨、亀甲ニ形(アラハ)レタル縦横ノ文ヲ以テ殊ニ奇ノ語ヲ加ヘ、「奇兆(クシマチ)」ト称シ直ニ之ヲ神霊トシ櫛真智命トセルモノナリ」とあり、卜事占兆をつかさどる神としている。神武天皇が八十梟帥(やそたける)を討つ前、天神の教示によって椎根津彦命、弟滑をつかわし天香久山の埴土で天平甍・厳甍をつくって天神地祗をまつったと『日本書紀』巻三即位前紀戊午年九月にでている。「本朝世紀」によると、一条天皇の正暦五年(994)四月中臣氏を宣命使として当社に使わし、幣帛を奉って疫病火災の変を占わしめたとある。
 境内に占の木「にわさくら」(波波迦の木)がある。『古事記』の天の岩戸神話に、天香久山の雄鹿の肩の骨抜き取って、天香久山の朱桜(古名:ハハカ)の木の皮で焼き吉凶を占ったとある。
 本殿は春日造素木銅板で、棟に千木鰹木が載せてある。向かって左側の境内社は春日神社(祭神 春日四神)で、素木銅板葺、棟に千木鰹木が置かれている。
 右側に同じ春日造の境内社があり、八幡神社(祭神 誉田別命)である。
 本殿の背後に三つの扉風のような巨石がある。古代の祭祀形態の磐座で、当社の神の依代であったとみられる。

 例祭は十月十五日。
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