| 神楽岡神社 |
通称 太神宮 |
| かぐらおか |
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| ご祭神 天照大神 |
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| 鎮座地 奈良県宇陀市大宇陀区上新 |
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祭神、天照大神。創祀詳びらかでない。社号神楽岡は、座地の名から起こったと思う。伝称記録など由緒については区々の相違があり、社地の位地、また移動があったことを示している。 |
『和州旧跡幽考』秋宮の下に、「明山とて、宇陀の町の東に城跡あり。其処に神楽石というあり。明、秋よみ同じ、これらにや。」といい、文禄三年、阿貴町絵図には、神楽岡社とある社地の背後部に「附山」とあって、元禄以前、織田氏封治頃の宇陀町絵図には「大将軍」と書し、前方左右に寺院があり、「附山」の位地に「御劔原」と表示してある。
元禄一六年の検地帳は、「一、境内山林四段四畝一〇歩、内三段八畝十歩山林、六畝、宮敷地松山上之新町大将軍社地」とあって、神楽岡の名は消失している。『宇陀旧事記』によれば、「神楽岡神社」について「神楽岡神社、吾城村、阿貴ノ峯二神霊神楽石奉斎広庭アリ。天武天皇従吉野宮到菟田吾城同九年三月辛于菟田吾城」とみえている。 |
| 神楽石について、民間伝えるところでは、「崇神天皇の六十一年、天照大神が大和の笠縫の里から、伊勢の五十鈴川上に御遷幸の際、当阿紀山の麓に臨幸せられた。この時侍従の諸神等が大神に神楽を奏したが、その神楽器を置いたのがこの霊石で、神楽石の名はここに起こった。」というのである。もとより一つの伝承に過ぎないものであるが、神楽岡に先行する神楽石の伝承があり、その名はすでに中世に存したとも見られる。この付近、「かんら」(甘羅)という地名が古くからあって、それが「神楽」に転訛することはあり得ると考えられるのである。 |
| 本殿、瑞籬、拝殿、門、社務所の施設整い、境内地一三三〇坪。例祭は陰暦六月一六日(夏祭)、九月一六日で、町内旧大字万六・出新・拾生・上新・中新の半部が氏子としてその祭祀に預かっている。 |
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