金橋神社

鎮座地 奈良県橿原市
     曲川町字北の垣内1143


    ご祭神 安閑天皇
 創建は明らかではないが、明治維新前は蔵王権現と呼ばれたという。
「本朝神社考」の吉野郡吉野町吉野山の金峯神社の項に「世伝金峯山権現者、勾大兄(まがりのおおえ)広国押武金日(おしたけかなひ)天皇也」とあるが、この社地が古来、安閑天皇の宮跡伝承地といわれてきた関係上いつのころかこの地方の先人によって天皇の神霊をここにまつったとみられる。
 しかも蔵王権現は安閑天皇だとの説から、明治初期までの神仏混合時代に当社を蔵王権現と呼んでいたことになる。

 元々蔵王権現は修験者(山伏)の守り本尊であるが、当社と金峯山修験と関係するか否かは不明である。当社は曲川町の北にあり、田園に囲まれた森の中に鎮座する。当社北参道入口に、大正四年十一月奈良県教育委員会による「安閑天皇勾金橋宮跡」の碑が曲川池開さく記念碑付近に建碑されている。

【鳥居横の立板より】

  金橋神社
 安閑天皇(西暦四六六−五三五)は継体天皇の第一皇子で勾大兄廣國押武金日天皇(まかりのおほえひろくにおしたけかなひのすめらみこと)の名で親しまれ西暦五三四年春正月に第二十七代天皇として勾金橋宮で即位された。都を大和國盤余(いはれ)の玉穂宮から勾金橋宮の地(橿原市曲川町)に遷されたのは今から千四百五十余年前のことで寛大にして仁恵の深い天皇は此の地で善政を敷かれた。この由緒ある勾金橋宮跡に安閑天皇の遺徳を偲び、その神霊を祀って創建されたのが権現社である。権現社建立時期は定かではないが明治維新に金橋神社を改稱され人里に接した社地は竹林と生け垣で隔てられ社殿の周囲には古木が聳え立ち千古の霊蹟を今日に伝えている。大正四年十一月に奈良県教育委員会より建設された安閑天皇勾金橋宮跡の記念碑も境内に保存されている。
平成元年十一月十二日
橿原市曲川町
 東面した割拝殿は入母屋造で、その奥コンクリート塀の中に本殿が鎮座する。
 春日造、屋根は鉄板葺で昭和四十一年  四月十一日の改築。

 祭典は十月十日。
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