| 葛木水分神社 かつらぎみくまり
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本社は御所市関屋に位置し天水分神、国水分神をおまつりしている式内の由緒深い神社であります。大和の国には古くから、吉野・宇陀・都祁・葛木の四水分社があり、本社はその一つで、御祭神の水分神は田畑の潅漑を司る、水にちなんだ農業神であり、尊信も厚く貞観元年(859)正月二七日には正五位下に叙せられています。本殿は春日造りで、桁六尺五寸、拝殿は桁梁行が三間、口一間半であります。 |
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| 『延喜式』巻八の祈年祭の祝詞に、吉野・宇陀・葛木の水分の神に、今年の配水のよろしきを得て豊作であることを祈り、規定の官幣の外に馬一頭を加えるとある。 稲作立国の当時、水不足は国の一大事だったので、年のはじめに水分神の祭りが行われたのである。 |
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『神名帳』では葛木水分の神が名神大社、他の三社は大社として月次新嘗案上官幣に預かっている外、いずれも早く神位を授けられている上、臨時の祈雨神祭の項には、四社とも八五座の中にふくまれている。大和の国で水分の神をまつる神社は、少なくないが、全国の延喜式内社三一三二座中水分社は、大和上記四座と河内国の建水分神社一座だけであることは、古代大和の国の水分信仰の特に篤かったことを裏付けるものといえる。 | |||||||||
水分の神は『古事記』に諾冉二神が生まれた川口の神である速秋津日子・速秋津比売二神が、河と海に持ち分けて天水分神と国水分神が生まれたとある。「水分」は「みくまり」と訓んで、「水配」の意味をもつ。ために水分神とは、山から流出する水の分岐点や、分水嶺に鎮まる神のことである。大和における上記式内社四社の鎮座地を見ると、大和平野周囲をめぐらす南の吉野山地、東の宇陀山地、大和高原、西の葛木山系の地域に分布して、文字通り大和国全域への水配を分担している観がある。 |
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