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| 葛木御県神社 かつらぎのみあがた 鎮座地 奈良県葛城市葛木 ご祭神 天津日高日子番能瓊々杵命 あまつひこひこほのににぎのみこと 天剣根命 |
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| 新庄と葛木との境に鎮座する。天津日高日子番能瓊々杵命を祀っていたが、明治年間天剣根命を追祀した。葛城地方には剣根命の後と伝える葛城国造がおり、天武天皇十四年(685)六月に忌寸(いみき)姓を賜っている。『姓氏録』神別の条に、葛木忌寸は高御魂命五世の孫、剣根命の後あり、高木氏の祖神とみられる。『三代実録』貞観元年(859)従五位上に昇叙され、大和の六県社の一つで、すでに大同元年(806)の『新抄格勅符抄』に備前国に封戸二戸をあてられ、延喜の制で大社に列して案上官幣に預かっている。 | |||||||||
国造と並称されるものに、県(あがた)の首長としての県主がある。葛城には葛城県が設けられていたが、そこでは在地の中小豪族が県主に任じられて地方統治権を認められていた。葛城県は、大和の六県(高市・葛城・十市・志貴・山辺・曽布)の一つであった。これら六県をはじめ、畿内に多く分布する県は、大王に仕え、雑菜や氷などを貢献し、王権に強く隷属する性格をもっていたと考えられる。 大和朝廷によって任命された県主は、祭祀・奉献などに当たる部族共同体の長であったが、彼らによって祭られた土地神(産土神)が、御県神である。 |
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| 当社は古来桑海村(大字葛木の旧名)にあったが、延宝八年(1680)領主桑山氏の信仰した、諸鍬・八幡の二社を、北花内の埴口陵に遷座、近村の神社も集めて、すべてその末社としたが後、元冶元年(1864)山陵修理に当って当社が式内大社の故を以て元の社地に帰座、今日に及んだ(当社明細帳)。 | ![]() |
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