| 安珍清姫の舞台となった道成寺 「道成寺」は「道成寺縁起」とも、「安珍清姫の物語」とも呼ばれる伝説で、昔から能、歌舞伎、浄瑠璃、舞踊などの演目となって、広く知られている。若い僧に恋をした女性がそれを拒絶され、ついには蛇になって追いかけ、道成寺の鐘に巻きついて、中に隠れた僧を焼き殺してしまうという物語。もともとは、道成寺の僧の夢枕に立った大蛇が、自分は鐘の中で焼き殺された僧だが、あの世で毒蛇と夫婦になっている。どうか法華経をあげて供養して欲しいというので、そのようにしてあげたら、二人は仏の国へ行くことが出来たという法華の霊験譚であった。 |
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| 【道成寺】 和歌山県日高郡川辺町鐘巻。 境内には安珍を焼き殺した鐘楼の跡や安珍塚、蛇塚などが残る。 大宝元年(701)、藤原宮子(かみなが姫)の発願で文武天皇が建立。開山は義淵僧正で、建立当時は法相宗。後に真言宗を経て、江戸初期より天台宗。 ご本尊は千手観音像をはじめ国宝三点、国指定重要文化財十四点、県指定文化財六点 。 |
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安珍が焼死、清姫が入水自殺した後、住持はふたりが蛇道に転成した夢を見た。法華経供養を営むと、ふたりが天人の姿で夢に現れ、熊野権現と観音菩薩の化身だった事を明かす。 |
物語の中で安珍は灰となり、大蛇となった清姫は入江に沈んでしまう。この話は謡曲にもあり、川の名を日高川とし、冗談をいうのを父としているが、安珍清姫の名は見えない。 絵巻物やお伽草子にもなっており、僧を清水寺の賢覚としているものもある。 『元亨釈書』に伝えられている話では、鞍馬寺の僧安珍に寡婦が思いを寄せることになっており、死んで道成寺の僧の夢に、二人蛇となってあらわれ、悪道におちて苦しんでいるから、法華経の寿量品を写して、供養して貰いたいと頼み、やがて往生するという筋でやや異なっている。 清姫の名前が出てくるのは、江戸中期の浄瑠璃からで、文政時代の『道成寺縁起』や『清姫絵巻』では《奥州白河といへる処に、安鎮(安珍)といへる僧あり、常に三熊野を尊信し山伏の姿となりて、同国室(牟婁)の郡真砂の庄司が許を宿として、毎年此処に宿りける。この庄司に一人の娘あり、名は清姫と呼びて、未だ幼稚の頃より、容顔麗しく、殊に怜悧なりければ》と記されている。清姫の生まれ故郷といわれる真砂の里には、今も「清姫之墓」と書かれた石が残されている。地元の人達はいまでも、清姫は悪女ではなく、純真無垢な娘であったと語り伝えている。 |
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