松下社

ご祭神 素盞鳴尊
    菅原道真
    不詳一座

鎮座地 三重県伊勢市二見町松下

 神宮方面から流れる五十鈴川派流、伊勢湾に近いところ、国道42号線の道沿いに鎮座する。蘇民の森と呼ばれている。

 沿革 松下地区の氏神さまです。加木牛頭天王社・御船者・蘇民の森ともいわれています。当社の創立は不詳であります。
「氏経日次記・文安六年(一四四九)の記事が古い記録です。この社にいつの日か素盞鳴尊と同神とされる牛頭天王が勧請され、やがて同神とかかわる蘇民社も祀られたものでありましょうか。
 蘇民社では古くから「蘇民将来子孫」と書いた桃符を配付し(頒布初祭十二月十六日)、近郊それを受けて注連縄に吊し、今に至っています。なお牛頭天王の縁起を書いた元和六年(一六二〇)銘の儀軌が、当会所に蔵されています。また境内に樹齢一〇〇〇年といわれる大楠(県指定天然記念物)もあります。
〜境内の看板より〜
本殿向かって、左手に鎮座する「蘇民祠」

 蘇民将来について:蘇民将来は、『備後国風土記』に記されている神の名で、備後国の疫隅国社(えのくまくにのやしろ・広島県芦品郡新市町上戸手の素盞鳴神社の境内末社)の縁起に次のような話が記されている。
 昔、北の海にいた武塔天神が、南の海の娘のもとに夜這いに出かけたところ、日暮れになったため、将来兄弟の家に宿を乞うたという。兄の蘇民将来は貧しく、弟の巨旦(こたん)将来は反対に富貴だった。弟は天神に宿を貸さず、兄は快く貸した。粟稈(あわわら)を敷いて座とし、粟飯を炊いてすすめもてなした。
 数年後、武塔天神は恩返しをしようと、八柱の神を引き連れて蘇民将来の家を訪れ、
「蘇民将来よ、かつての礼をしようと思うが、お前の家には子孫があるか」と問うた。
蘇民将来が「私には娘と妻がおります」と答えると、天神は「茅の輪を腰に着けさせよ」と言った。蘇民将来が言われたとおりにすると、その夜、蘇民将来一家を除いて、皆が疫病で死んでしまった。そして武塔天神は「我は速須佐雄神(素盞鳴尊)である。後の世に疫病が流行したら、蘇民将来の子孫といい、茅の輪を腰の上に着けよ。そのようにしたならば、厄災は免れるだろう」と言ったという。

 全国の社寺では、「蘇民将来子孫守」「大福長者蘇民将来子孫人也」などと書かれた木製六角柱の護符(蘇民将来符という)が出されており、これは災厄を除いて福徳を祈る護符で有り難がられている。
 また、疫病除けに門口に「蘇民将来子孫の宿」と墨書して貼ってある家もある。茅の輪は霊力のあるものとされており、夏越の祓えに茅の輪をくぐりの神事が行われるのは、この蘇民将来の説話に基づくものである。
 松下社の大クス
県指定文化財
松下 松下社 昭和一二・一二・一〇
 松下社宮域内の南東部にあり、昭和一二年(一九三七)一二月一〇日に三重県の天然記念物に指定されている。主幹は五メートル位を残して枯損し下部は空洞化しているが、樹幹基部の周辺から枝幹が張り出して堂々たる景観を保っている。
 樹齢は二〇〇〇年とも言われているが、その風格は幽遠な蘇民の伝説を秘めた神社によく適応し、より一層の荘厳さを漂わせている。
〜看板より〜

 

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