御井神社
みい

ご祭神 御井神、天照大神、
    天児屋根命、水分神

鎮座地 奈良県宇陀市榛原区檜牧
 旧県社。国道369号線の内牧川沿い、伊那佐山(標高493m)の山頂に連なる御井山麓に鎮座する。『延喜式』神名帳に登載される御井神社に比定されているが、古来『神祇志』などは、菟田野町平井字常願寺の皇太神社の境内社で、旧社地は平井字安井の高地にある石積の社遺跡であると称し、今もそこに「御井明神」との標石が残るとの説もある。
 『大和志』に「檜牧村ニ在リ、今食井(ケイ又は、ケヒ)明神ト称ス」とあり、後述する当社殿内の棟札や石燈籠のほとんどが食井とあり、食井とは食物主宰の神とされる。
 御井神は「古事記」によると大国主神の子で、母は稲葉八上姫で、八上姫はその子を産むと嫡妻須勢理姫を畏れてその子を木俣にさし挟んで帰ったので、その子神を木俣神と称し、御井神ともいうとある。
 当社の創祀は明らかでないが、式内制のできたころすでに宇陀郡十七座の中に選ばれていることから、これ以前の創祀とも考えられる。『大和志』に「上梁文に曰く建長八年重修天正二年再修、高井自明共ニ祭祀に預ル、又村ノ西ニ神殿アリ、称シテ十二社と曰ウ、勒シテ文中四年営造トイウ」とある。

 当社はこの地の豪族山辺氏の配下の御井氏の氏神であったとみられる。例祭は一〇月二十一日で、その前日高井から神輿の渡御があって祭典が行われる。境内にあった観音寺と称した神宮寺は、慶応四年(1868)二月の神仏分離令で廃寺となり、今はその寺跡などが残っていない。
 本殿内に二〇枚余の棟札が残されているが、最古のものは『大和志』にもあるように天正三年乙亥(1575)十一月十五日申堯のもので、「奉修理上造成地頭□□□満教」等とあり、裏面に「建長八年(1256)辰八月二十二日」とある。明治以前の棟札を見ると、等しく当社を気比神社とか、食井神社と称している。






境内地に暖地性植物のツルマンリョウの群落があり、
昭和二十八年に県指定天然記念物となった。
ツルマンリョウの北限になるという。
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