|
![]() |
||||||
![]() |
古来、飛騨国一ノ宮として名高く、創始年代は神代にありと社伝にもあるが詳らかではない。 史上にあらわれるのは平安初期、貞観九年(867)神位を授けられた記事にはじまる。中世鎌倉時代には社領は付近十八ヶ村に達し、社家十二人と社運が隆盛であったが、戦乱にかかわって荒廃をみた。 |
||||||
江戸時代に入って歴代の領主、代官、郡代(天領時代)の尊崇をうけ、また、一般庶民の厚い信仰にささえられ、明治四年五月十四日、太政官布告によって国幣小社に列せられ、明治十年より国費をもって十年の歳月を要する造営がなされ今日の社殿が完成した。 |
|||||||
| 絵馬殿(拝殿)の由来 一、慶長十二年(一六〇七年) 飛騨の国守となった高山城主金森長近の造営(当社棟札 一宮拝殿造営定書 飛州志) 一、安永七年(一七七八年) 百姓一揆が安永二年に起こり大原騒動と称し、当神社の社家も農民に加担、連座し改廃され信州より迎えた神主梶原家熊は両部神道を改め、唯一神道とし従来の仏像、仏具はもとより社殿の多くを取壊し改めて造営するにあたりこの社殿のみ取壊しを免れた |
![]() |
||||||
一、明治三年(一八七〇年) |
|||||||
| ねじの木 此の神木はその昔日蔭になるので氏子達が伐って普請に使おうとしたら一夜にして幹はもとより梢までねじ曲がってしまい伐木は沙汰止みとなり神のたたりを恐れあやまったと言われます。又、今から凡そ二〇〇余年前、明和九年八月十八日宮川に氾濫があり高山の中橋が流れました。 |
|||||||
![]() |
しかし、大原騒動があって架替がおくれ安永五年工事がはじまり時の代官大原彦四郎は当神域の大桧に着目し橋材として差し出すよう命じた。困った神社側は一計を案じ此のねじの木を示し神意で一夜の内にねじれてしまったと説明したところ他の杜の木も伐ることが沙汰止みとなりました。向の絵馬殿前にありましたが昭和二十九年の移転工事で現在地に移されました。 正月、例年ねじの木に似せた「こくせん」が参拝者のお土産になっております。 【案内板より】 |
||||||
| 白川神社 霊峰白山(二七〇二米)飛騨側の山麓にひらけた集落大野郡白川村は合掌造りの里として世界遺産に登録されているが、その白川村大字長瀬(通称秋町)と同福島の両集落は昭和三十二年(一九五七)御母衣電源開発がはじまり ダム湖底に沈むことになり氏子も離散、それぞれの集落にあった氏神白山神社を飛騨国一宮(総座)の地に御遷座、両神社を合祀し白川神社として創建した。 |
![]() |
||||||
| BACK | |||||||