| 諸鍬神社 もろすき
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本来、領主桑山氏が産土神とする本貫の尾張国海東部諸桑村(現愛知県海部郡美和町諸桑)鎮座の神社であった。その地に起こった桑山氏の奉仕を受け、氏神として祭られた。戦国の動乱期に織田・豊臣両氏に属して栄達をとげた桑山氏一族にともなわれて、但馬国出石郡竹田(現兵庫県朝来郡和田山町)に移された後、文禄四年(1595)には紀伊国名草郡若山(現和歌山県和歌山市)へ移り、桑山一晴の布施入部とともに弁之庄村の現社地に遷座した。 |
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| その後、くわしい事情はわからないが、延宝八年(1680)には桑山美作守一尹によってその領内の北花内村埴口陵に移されることになった。その際、下記の一二神が合祀され、天和元年(1681)になって北花内・弁之庄・新庄・西室・北道穂・南道穂・藤井・中戸・桑海・正道寺の各村が博西神社から切りはなされて、あらたにこの社の氏子に付けられたのである。 | ||||||||||||||||||||
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| 諸鍬神社境内の摂社。左の写真から拝殿左側に鎮座の高良神社(祭神 竹内宿禰)。 真ん中の写真が、拝殿右側隣に鎮座の大宝天皇社(祭神 素戔鳴命)・日吉社(大己貴命)、 右の写真がその隣に鎮座の宗栄社(祭神 桑山重晴)。 |
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江戸時代には六月十五日の夏祭、九月九日の秋祭がにぎやかであったという。![]() 元治元年(1864)戸田大和守による埴口陵修復で、当社殿は取払い御旅所の道穂村北方の西宮神社境内に仮住いをすることになり、その後も遷座地未定のまま、五年間も西宮神社境内地に放置されていたが、明治五年弁之庄の旧地に帰座、弁之庄・中戸二ヶ村の氏神となり、現在に至っている。 |
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