おまつの宮
住吉神社


鎮座地 奈良県生駒市南田原町788


御祭神 表筒男神、中筒男神、底筒男神、息長足媛神

摂末社 伊邪那岐神、伊邪波神、天照大神、饒速日尊、
    神倭伊波礼毘古神(神武天皇)、祓戸大神、白竜明神、稲荷明神、
 星が森を背景とし、龍が淵(池)を廻らす広域の地に、鎮守産土の守護神として鎮座し、氏子の人々に祭祀崇拝されるようになった。その年代は、残念にも記録が現存していないので不詳である。たまたまこの神社の東東北700mの桧窪山山麓に岩倉寺(今は寺跡と多くの石仏)の縁起記録が発見された。記録によると、岩倉寺と住吉神社が離れることの出来ない因縁のあることが判明した。以下その抜粋
「この寺そのかみ役の小角(行者)生駒山の北の方山嶽重嶺のこの地に来たり、一躰の尊像を作り岩屋寺と曰す。延暦年中伝教大師役の小角の神迹を慕い七日七夜の修行の後、高堂を建て岩蔵寺と名付けた伝教大師の徴意により真乗宣揚の場と成る…
 しかるに黄燭絶し、魔魅跳躍となる。弘法大師入唐帰朝後京都より往還して、当山の下にたたずむ。
一老翁来りて曰く
「この山は役の小角の改ざん伝教堂を建つも止住する人無し魔魅絶えず師は鎮国安民息災増益の密教深く蘊め給えり伏して乞う この魔魅を避けよ然らば即ち人道業を修し民安んぜん 我は、この郷に鎮ずる住吉明神の社主なり」と言い畢りて形隠る…
弘法大師神諭辞すべからして三層の宝塔雲をはさみ鐘時を報ず
弘法大師この寺を離るる二町許りの地に龍の形の池を掘り龍ヶ池とし 高林に星か森と名づけ住吉明神示現の形をなし神の垂迹の聖地となる所以か…またこの池水こんこんと湧き出で枯るることなし云々」この記録から、奈良朝末期平安初期伝教、弘法両大師がこの地に来るとあるにより、今から一千二百余年昔に既に住吉明神の鎮座が想像される。
 本殿・拝殿とも最近改修された様子で、まだ新しい。改修以前の本殿は、文政六年(1823)のもの。拝殿も同じ頃の建築であったと思われる。
 狛犬は、建造 文政九年(1826)
拝殿前の石灯籠一対は、天保九年(1838)で、狛犬と石灯籠には奉納者の氏名が刻銘されている。
伝説
一、龍ヶ淵と雨乞い弘法大師の創設といわれるこの龍ヶ淵は清水常にこんこんと湧き、神社の森の葉陰をおとし、夏なお冷涼の清らかさを持ち続けていたであろうが、年月の過ぎた今日、泥土と葦で泥沼化し、見るかげもないが、如何なる旱天続きであっても水の絶えることがない。かってこの泉水の底を凌渫して雨乞い祈願をすれば、不思議にも旱天に慈雨があたえられたといわれている。
 天保の飢饉の際、雨乞い祈願の後「雨喜び」で拝殿前燈灯が奉納され、天明の飢饉の後農家の人々が次第に豊かになり、三・四十年の後本殿の建築がされたものと思われる。
 又大正の米騒動もうち続く飢饉の後生じたもので、その疲弊から立ち直った大正十五年に現在の社務所が建立された。その頃に雨乞い祈願が行われている。
なお、この龍ヶ淵は天の川の源でもある。


祓戸大神の鳥居をくぐると、
正面に祓戸大神、その横に天神社、
一番右手に饒速日尊が祭祀されている。

二、おまつの宮の伝説
1.磐船神社との因縁
 石上神宮(官幣大社)の十種の大祓祝詞に「天照国照彦火火明櫛玉饒速日尊天磐船に乗りて、河内国河上哮峯に天降座して」
とあり、この住吉神社の北3km天の川に巨岩をご神体とした磐船神社が鎮座し、饒速日尊を奉祀している。
この尊、高天原から天降り給うた時の十種の神宝があった。この神社の神宝は祭祀奉仕する者久しく絶えているうちに分散し、神社の松の枝を持ち帰り星が森に植樹され、住吉神社の境内は松の木うっ蒼とはえ繁っていた。
 このことより、おまつの宮と伝承されたという一説がある。
2.菅原道真と住吉神社
 宇多天皇(平安朝の最も平和で文化の栄えた時)の信任を得、学問の神と尊敬されていた菅原道真公右大臣として種々善政の補佐をしていたが、藤原時平(左大臣)の他氏排斥政策の犠牲者となって九州太宰府に配流の身となった。
 その途次、追われる身となり、ひそかにこの神社でその妻と待合い暫時のわかれを惜しまれ、その後北河内下田原を経由して枚方の蹉陀に行かれたといわれ、この神社を「お待つの宮」ともいわれる。

秋例大祭(宵宮)十月十四日
    (本宮)十月十五日
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