| 大神神社の摂社・末社 | |||||||
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| 大直禰子神社 おおたたねこ 鎮座地 奈良県桜井市三輪字若宮 御祭神 大直禰子命・少彦名命・活玉依姫命 |
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摂社。本社表参道の鳥居(昔の二の鳥居)から向かって左(北方)へ100mほどのところ突き当たりに南面して鎮座する。一般に「若宮さん」といって、摂社・末社中でも最も親しまれているところで、明治四年[1871]大直禰子神社と称す。本殿(重要文化財・鎌倉時代)は、明治の神仏分離まで、神宮寺だった大御輪寺の本堂で、方五間(28.09?)、一重入母屋造、本瓦葺。もともと仏殿であったが、堂内に早くから、三輪明神の王子(若宮)が生身入定の説話が生まれていた。天文二十二年[1553]二月、三條西公條が参詣の際の記録『吉野詣記』、あるいは天正十一年[1583]二月二十一日参詣の『顕如上人雑記』に、そのありさまを記している。 (前略)三輪ノ拝殿ヨリ、口二堂アリ。ワキニ、玄賓僧都ノ木像アリ。又ソノ木像ノアル所二若宮ノ堂ノ内右ノワキ二沓ノ跡トテ、ノコヒ板ノ上二二ツアリ。板カクホリ成テアリ。此分ニフミチカヘテアリ。タトヘハ若宮ト中ハ神歟。戸ヒラノヤウナル所アリテ、其中へ入セ給タル躰也。面(おもて)ヨリミレハ御簾カヽリテ神前ノカマヘ也。沓跡ノアル所ハ奥ナリ。(後略)寺というより神社の様子だったらしいことが、顕如の関心を引いたのであろう。 |
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![]() 境内には本殿への参道西側、社務所に北接して東面する御誕生所社雑社 祭神 鴨津見美良姫命 本殿はなく磐座 例祭九月十日がある。 |
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本殿に向かって右側に琴平社(雑社。祭神・大物主神。例祭九月十日)と本殿右前に御饌(みけ)石(磐座)があり、四基の石燈籠と一対の石造狛犬がある。 入口石階段右上におだまき杉の古株が残る。北側に並ぶ三基の石燈籠に「若宮献燈/元治元甲子年七月 別当青雲立代建蔵」(四角方柱)、社務所前方(東側)のは「太神宮/村中安全/太神宮/天保十四癸卯年九月吉日/初瀬石工 泉屋 弥兵エ 若宮社」(神前型、三面に刻む)。本殿裏に菩提樹の古木。例祭は四月八日。 |
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| ●大直禰子命 意富多多泥古命/大田田根子第十代祟神天皇の御代、疫病流行のおりに天皇が神祇を祀った神々の一柱。 大物主神の子孫。記紀神話における伝説的な人物で、三輪君の祖神とされる。第十代祟神天皇の御代に、疫病が大流行して、多くの民が死んだ。天皇が大いに愁い給うていたとき、夢枕に大物主神が現れた。わが児・大田田根子をして私を祀らせれば天下は平らぎなんと言った。そこで天皇は、これを茅渟県陶邑で探し出し、意富多多泥古命を神主として、三輪の大神(大物主神)を斎き祀ったところ、疫病は鎮まり、天下は泰平になったとある。 また、『古事記』には、伊迦賀色許男命(物部の祖)に命じて天津神、国津神の諸々の社を定め、弊帛を奉って神霊を斎き祀ったところ、天下は泰平になったともある。 大物主神を祀る大神氏の祖である大田田根子の出自の話は、活玉依毘売のもとに通った苧環(おだまき)系統−蛇などの異類が男生となり姫のもとに通い、あるとき不審に思った母娘が、男の袖などに糸をさして、男が去ったあとを糸にたどって行くと、婿は蛇などであったという神話・民話−で、そのもとになるのが三輪山神話である。 |
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