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| 塩竈六社大明神 しおがまろくしゃだいみょうじん 鎮座地 和歌山県田辺市中辺路町 ご祭神 塩竈六社大明神、他 |
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| 和歌山県田辺市本宮町から中辺路へしばらく車を走らせると、大きな道が交差しているところで「塩竈神社」の看板を見つけた。そちらの方向へずいぶん車を走らせたが、行けども行けどもお宮さんらしきものがない。 | ||||||||||||
| 道は、だんだん狭くなっていく。道路には所々にたくさんの落ち葉や、枯れて朽ちた枝が…。独りなら挫けそうになる。神社へ行く途中で「塩竈六社大明神」の由緒について書かれた看板を発見。 しかし、まだ、お宮さんはすぐそばにあるわけではなさそう。どうして、こんなところに由緒書き?(まず、勉強してから来い)ということでせうか。 読んでみると、とんでもなく恐ろしい事が書いてあった。これから行く人をビビらせるのに十分な内容。そんなに怖がらせてどうしようというのだ。 |
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「由 緒」此処は、日置川と野中川との合流点「落合」です。此処より約五百米奥に塩竈(しおがま)神社が鎮座しております。 ご祭神は塩竈六社大明神を中心に、山の大神櫻木地蔵尊がお祀りされております。 この神社の由来は、今から百二十年余り前、伝田家の先祖重左ヱ門と言う人が住んでおりました。或る日、大蛇に小牛が飲み込まれるのを目撃した重左ヱ門は大変驚き、このままにしておいては、大蛇が人々に危害を及ぼすことを憂い、塩竈神社(現在の宮城県塩竈市)に詣でて、七日七夜の水垢離を取り、二度と大蛇が姿をあらわさないようにと、この地に分神をお祀りしたのが始まりとされています。 重左ヱ門がなぜ塩竈神社を知っていたのかは、詳らかではありませんが、奥州方面からの落人だったかも知れません。その当初に作られたと思われる祭礼用の幟が現在まで保存されています。これには「塩竈六社大明神 元治元年 願主 重左ヱ門」と染め抜きされています。その後現在に至るまで、旧暦二月二十八日・十一月一日の年二回祭礼が行われております。特に塩竈市鎮座するご本社と同様に、安産の守護神として、非常に霊験あらたかで、多くの人々に敬われております。 ここにご祭神を敬愛し、永く遺徳を伝承する為に建立いたします。 昭和六十年十一月吉日 祭主 講元 伝田 家 |
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そうこうしている間に、車はお宮さんの駐車場へ到着。道中はどうなることかと思ったが、駐車場は十分な広さがある。いざ、塩竈六社大明神へ!階段の登り口には「塩竈六社大明神」とあり、その後側に参詣する人のために杖入れがあった。うむ、親切。 しかし、生憎、杖は品切れ。 |
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| 階段を登り切ると、祠がお祀りしてある広庭に至る。塩竈六社大明神と、山の大神櫻木地蔵尊。小さなふたつの祠もあった。 境内の隅に掃除用具や祭具を入れる小さな小屋があり、きちんとお祀りされている様子が伺える。 |
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| 駐車場から見た真向かいの山。 きれいな円錐形をしていた。神奈備? その後、大蛇はどうなったのか。山の彼方へ行ったのか。出会わなくてよかった。 桑原、桑原…。 |
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