須賀神社
すが
通称 ほほまの丘の宮
ご祭神 素盞鳴命
鎮座地 奈良県御所市本馬字麦山
 本殿 春日造り、二尺に二尺二寸。
 拝殿 切妻造。
 絵馬殿 四間半に一間半。

 天明八年(1788)の棟札がある。
 本社は、本馬丘の麓にある。
 本馬山は、ほほまの丘か。
神武天皇と本馬の丘

 掖上ほほま丘という、この丘へ神武天皇がお登りになり「大和は山々にかこまれて美しい国だ、※蜻蛉(あきつ)のとなめしているようだ」と仰せられたという。
 わが国の別名「秋津島」の名はここから起こったのだという。この丘の木を切ることは恐れられている。斉明天皇の越智岡の御陵をつくる時にもこの丘の木を切ることを恐れてしなかったという。また頂上にハライタ山という土壇があり、
吾平津媛を祀った跡だと伝えられている。
※トンボの雌雄が交尾して互いに尾をふくみあい、輪になって飛ぶこと。
 柏原の北部に位置する本馬丘は、古名を「ホホマオカ」といった。
『古事記』(応神)に「ちばの葛野を見れば、百千足る、家庭も見ゆ、国の秀も見ゆ」とあり、この秀は船の帆、浪の穂、火の穂などの「ほ」と同義で、秀でていて人の目をひくものを指す語である。(守部の説)本居宣長も倭健命の歌にある国のまほろば」の「まほ」も同意味に解釈している。古代、国土の開拓を賛美した歌であろうが、『書紀』神武記の「掖上丘」の「」も形勝地に所在する丘陵を意味するものである。
 現在、丘陵の西半部が字「ホンマ」と称し、ここに本馬という地名がある。
要するにホの間で(地域)であろう。この本馬村は本馬丘麓に発生した村名で、本馬村も村の転であるという『大和誌』『大和名所図会』『西国名所図会』の説は正しい。しかし、本馬をの転訛と認めながら、丘を本馬村南方(実は玉手山になるが)の国見山にあてるのは現地に即した調査をしていない証拠である。たとえば明治の『大和町村誌集』には本馬村の項に「山岳、掖上丘」とし、柏原の項にも「掖上丘」とし、『南葛城郡誌』は「は国見、本間二山を含みての称なるべしとあり」という苦しい解釈をしているが、本馬がの転訛である限り本馬丘に断定したものとすべきである。海抜一三一米、大和平野の一角に所在する本馬丘は国状廻望の地として恰好の地である。【大和誌より】
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