| 墨坂神社 すみさか ご祭神墨坂大神 (天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、 伊邪那岐神、伊邪那美神、大物主神の 六柱神の総称) 鎮座地 奈良県宇陀市榛原区萩原字天野 ※近鉄榛原駅下車、南へ徒歩5分 ● 墨坂の由来 |
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宇陀川南岸の向山(標高500m)山麓に西北面(旧社方向)して鎮座する。「社記」によると神武天皇東征当時にはすでに祀られていた神々である。日本書紀によれば祟神紀の九年三月(380)国中に疫病が蔓延したため、天皇はいたく悩まれていた。或夜、御夢に神人が現れて「赤盾八枚、赤矛八竿をもって、墨坂の神を祀り、黒盾八枚、黒矛八竿をもって大阪の神を祀れ」告げたので、天皇はその教えに従って祀られたところたちどころに疫病は平癒し天下安泰になったと記されており、この墨坂の神は当神社のご祭神で大坂の神は香芝市逢坂の大坂山口神社のご祭神であるが、いづれも古代大和における東西の重要な道路を守る神々である。 同じく日本書紀によれば、神武天皇即位四年春鳥見山中に霊畤(マツリノニワ)を築かれ、天皇みづから皇祖天神を祭祀され「この地を上小野榛原(カミツオノハリハラ)下小野榛原(シモツオノハリハラ)という」とある。その下小野榛原が即ち墨坂の地である。現在は西峠地区にあるが、神武天皇の軍が大和菟田に入られた時この墨坂において賊軍がいこり炭(山焼きの意)をもって防戦したため、天皇の軍は苦戦し菟田川を堰き止め消火して進軍した所でもある。 この墨坂で当時から祀られていた神々を文安六年九月(1449)に現在の下萩原字天野に遷座されたものである。旧社地には小祠を建て「上の森」と呼んだ。天野の地は天富命の邸宅とも伝えられ明治初期まで神宮寺として遍照山薬王院天野寺が神仏混合で祀られていたため、六所権現とも又天野宮とも称されていた。その後、天保十年(1839)数町上に移して同地の鎮守とし、天神神社と称したと『宇陀郡史料』に記されている。 |
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又新抄勅格符抄によれば天応元年十月四日(奈良朝末期・781)「墨坂神一戸信乃」と記されており、 現在御分社として長野県須坂市に墨坂神社が二社あるところから、天応年間には、信濃まで神領があった大社であることがうかがわれる。昭和五十六年の式年御造営に当り、境内地拡張のため本殿を旧地から南七間の地に遷座された。本殿は春日造。 創建年代は不明だが、元治元年(1864)御造営に際し、奈良の春日大社の旧本殿を拝領のうえ建造し、当社旧本殿はその時楼門の材として使用されたものである。 |
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境内末社 |
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大山祇神社 祭神 大山津見神 (昭和56年2月境外地石山から合祀) |
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