大性神社 通称 だいじぐさん
たいせい

鎮座地 奈良県五條市田殿町

ご祭神 不詳

祭日 一月七日、又はその次の日曜日。



● 中将姫と勘定仕<かんじょうし>
 田殿町のほぼ中央に鎮座する。境内は、西の急谷の頂上付近に近い小丘陵上にある。
自然石を積んだ石段上の本殿は、春日板葺素木造。
 本殿に向かって、左側に大きな切り株が残る。五條市史によると、昭和二十年の戦争に供出した桧の古木であるとの記載があった。

 古来、本社の祭典は仲山家の主人が神主を勤める習わしで、今も続いている。
祭典には村の氏子全員がこの宮に集って般若心経を唱え、御供撒き(餅まき)が行われる。市史によると、氏子中に瀕死の重病人ある時、この村の氏子全員がこの宮に集って、平癒を祈願、般若心経を転読する風習があり、近年までこの宮の近くにある土取場付近でかがり火をたいたり、提灯行列をして雨請をしたという。

 創祀は明らかではない。仲山家の先祖は屋号を勘定仕(かんじょうし)といい、その昔、住まいは大性神社からほぼ近い谷の方にあった。
 上遷宮は、平成五年一月吉日。現在のご主人の代で行われ、その前の上遷宮には、ご主人のお祖父さんの代で行われている。
 ご祭神は不詳だが、仲山家の話では、祭典の際、お社を検めたところ「大将」と書かれた木札を確認している。

 鎮座地はご覧の通りで、非常に判りにくい。以前は、脇道がついていたそうである。道路から畑へ通じる脇道へ入り、畑の中を横切って、この谷の方へ少し下る。

 ここは、奈良県と和歌山県の県境に近い場所であり、すぐ近くに史跡「中将が森」(現:和歌山県橋本市)が広がっている。
 仲山勘定仕家もまた、中将姫との関わりがある。中将姫の継母は、父豊成が諸国巡視の留守中に、松井嘉藤太に命じて、大和と紀伊の境にある雲雀山に誘き出して姫を殺害させようとするが、嘉藤太は慈悲の心が甦り罪もない姫を殺すことが出来ず太刀を捨て姫を残し一旦都に帰り、妻のお松と共に「恋し野の里」の雲雀山に戻った。雲雀山に向かう途次に位置するこの場所で、中将姫は嘉藤太と共にこの辺りでしばらくとどまっておられ、その際に仲山勘定仕家と物々交換を行い、糧とされたそうである。

『中将姫ゆかりの地「恋し野の里」』(和歌山県橋本市のサイト内)を参照
追記
〜大性神社参拝の折り、仲山様には道案内をして頂き、
  色々と詳しいお話しを聞かせて頂きました。感謝申し上げます。〜


 大性神社への探索を決め、色々調べてみたが地図では一切確認できなかった。
こりゃ、現地で尋ねるしかないな、迷うのは必至だなと腹をくくって出かけた。
 町内で二、三件ほどあたってみたが、何れも留守。畑で作業中の男性に尋ねてみたが、
ジモティではないので、判らないとのこと…。案の上である、途方に暮れた。
 もう一件だけ、あたってみようと仲山さんのお宅を訪ねたところ、快く応じて下さり「後を付いて来てね」と車を出してくださった。あれよあれよという間に道案内して頂いたのは、ワケがあったのだ。ぢぶんが訪ねたのは、大性神社の神主を務めるお宅だった。
 仲山さんはてっきり、私が誰かにこの家のことを聞いて、訪ねて来たと思われていた。
(不思議なこともあるもんですね)と話に花が咲いた。お陰様で貴重な話が聞けた。
感謝。
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