| 手向山神社の境内社 | ||||||||
| 手向山神社 たむけやま 鎮座地 奈良県奈良市雑司町手向山434 ご祭神 品陀別命(応神天皇) 足仲彦命(仲哀天皇) 比売大神 仁徳天皇(大鷦鷯命) |
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手向山神社は、手向山八幡宮・東大寺八幡宮とも呼ばれていた。奈良時代、聖武天皇が大仏の造営をされたとき、これに協力のため天平勝宝元年(749)に宇佐八幡神を東大寺大仏守護神として勧請することになった。天平勝宝二年二月に、一品八幡神を迎え神仏習合の形となり、その後東大寺僧侶も事ある毎にその神助を仰ぎ、東大寺の守護神として深く崇敬された。 八幡宮の所在は、大仏殿の近く鏡池(八幡池)の東側であった。それ以前の経緯は明らかでない。鎌倉時代の建長二年(1250)に北条時頼によって現在地に遷座した。東大寺中門前を東へ進み、長い参道を行くと楼門に至る。楼門を中心にして、両側に北廊と南廊が延びている。(手向山神社本殿・若宮本殿・楼門・南御廊・北御廊・神楽所は奈良県文化財に指定) |
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| 本来は東大寺の鎮守であったが、明治維新の神仏分離によって独立した。神仏分離以前に本殿に祀られていた僧形八幡坐像(国宝)は、現在東大寺の八幡殿に秘仏として祀られている。この像は鎌倉時代、本殿の再興にあたり、重源上人の命で快慶が刻んだもので、像内に「東大寺八幡宮置之、建仁元年(1201)十二月廿七日御開眼」と記し、多数の関係者の名が墨書されている。 |
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| 本殿は入母屋造。三間社が三つ接続して、合いの間を設けた形になっている。 その中殿に品陀別命、右殿に足仲彦命と息長帯姫命を、左殿に比売大神を祀る。 本殿北妻下に一間社流造の式内社(ご祭神 武内宿禰)が鎮座する。祭礼は、転害会(碾磴会、手掻会とも)と呼ばれ、古くは勅祭であった。 これは八幡神を宇佐から影向した神行を再現するもので、佐保路門(転害門)が御度所として神輿がでる。付近の町も手貝町となっている。勅祭のころは、東大寺の僧が会行事に任命された。十月五日に行われる。この外に、お田植祭があり、節分の日に行われるが古い能楽を残しているといわれる。 |
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