荒神社(立里荒神)
こう   たてりこうじん 

鎮座地 奈良県吉野郡野迫川村池津川荒神岳347


ご祭神 火産霊神、誉田別命

摂社(五社神社)
ご祭神 天照皇大御神、大山柢命、
    保食命、市杵島姫命、素盞鳴命

●荒神ヶ嶽のお辰の墓

「荒神社」の石碑が見えるが…
まだまだ、これから先が長い。
 荒神岳北の峯山頂に鎮座する旧村社で、
火産霊神を主神に応神天皇と天照大神を祀る。現社地の南の尾根沿いに2kmほど登った山頂1260mの三角点の地が当社創祀の所と伝え、古荒神と称する。

 火産霊神は阿弥陀如来が本地仏で、当社を三宝荒神とも称し、火の神、かまどの神として旅館・料理業者や火を使う職業の人々に信仰を集めた。不便な交通事情ながら今も参詣者が絶えない。
 当社縁起では、弘法大師が高野山を開くにあたって、伽藍繁昌密教守護のため、板に三宝荒神を描いて古荒神の地に祀るとともに、檀上の鬼門にも荒神を勧請して高野山の大伽藍が成ったという。以来当社は高野山と結ぶ神仏習合の宮として明治初年まで宝積院と称し、高野山地蔵院末そして鐘楼堂も備えていた。明治の廃仏毀釈で宝積院を廃し、仏体など池津川へ移して単に荒神社と称し、今日に至る。
 かつての高野の熊谷寺前に一の鳥居、桜峠へ登る坂路に二の鳥居、野迫川上垣内に三の鳥居があったという。
例祭は五月八日と十一月二十三日。

長い鳥居をくぐり抜け、整備された
参道を歩き、お宮さんへと向かう。
 第二次大戦後、女人解禁されたが、祭典の神饌には今もいっさい魚貝類を用いず、匂の少ない野菜と果物を供える。近年まで参籠者も精進料理で山の神聖さを護り続けてきた。
 地理的に吉野山・山上ヶ岳・天川・高野山への山岳修行の要路であった関係上、古来山伏の参籠者も多かったという。
荒神ヶ岳鎮座
三宝大荒神略縁起(荒神社御宝物写)

 大和国吉野郡池津川の南に当りて海抜四千二百余尺の高峯荒神ヶ岳という所に三宝荒神の御社あり。本地は阿弥陀如来ましまし当所の鎮守なり。
抑も当社の由来を尋ぬるに弘法大師御勧請の霊神と申伝うるなり。
往昔人皇五十二代嵯峨天皇御宇弘仁七年、大師高野山伽藍を開基し給う思召にて初めて御登山これあり。今の檀場にて地鎮の法を修行し給う時、俄かに天地振動し東の方より黒雲たなびき其中に異類異形の夜叉神顕われて大師の御建立を妨げんと種々の障碍をなしければ、大師暫く修法を止め、汝は何者ぞと問い給う。夜叉答えて曰く我はこれ荒神ヶ岳に住む神也、我別に神体なし、汝は則一切衆生本有倶生障(しゅじょうほんうぐしょうく)の惑貪瞋痴(わくどんしんち)の三毒にして一切衆生の善根功徳を障うる神なり我に九億九万八千五百七十二神等の眷属ありて、衆生の悪業力に因って、彼の眷属を不信心の家に遣し日々に七難を起し夜々に七福を滅して貧窮無福の人となさしめ、一切の善事を障うるなり。若し衆生有て、勇猛精進にして種々の供具を備え、一心に我を祭らば速に本に帰し三宝荒神と現じ一切の障碍悉く消滅し一切の諸願立所に満足せしめん、七難即滅七福即生は我第一の誓願なり、汝先我を供祭せば必ず大願成就すべしと云えり。
 依て大師無二の信心を凝し一枚の板に三宝荒神の御像を画きて本尊となし、一七日の間荒神供を御修法ありて、伽藍繁栄、密教守護の祈誓をなし給うて、檀上の鬼門に荒神の社を勧請あり。而して後に大伽藍を御建立ありけるに何の障もなかりき、故に大師御一生の間は、毎月当山にご参詣ありしとぞ。
 其後第二祖真然僧正を始めとして、代々の高僧各意願ある方々は参詣ありけるに諸願満足せざる事なし。
 日々夜々に参詣し願にまかせて求願すなわち、成就すれば神威霊光日々に新たなり。
他の悪疫流行或は水難火難等の消滅を一心に祈願する時は霊験忽ち著わるゝことは世人の能く知る処なれば委しく記さず。近畿各地方より参詣の客四時続々として断ゆることなし、随うて遠方の参詣人は参籠すべき設備あり。

本社祭神 火産霊神ほむすびのかみ、 誉田別命ほんだわけのみこと

摂社(五社神社)祭神 天照皇大御神、大山柢命おおやまづみのみこと、保食命うけもちのみこと、市杵島姫命いちきしまひめのみこと、素盞鳴命すさのおのみこと

例祭 五月八日 新穀感謝祭 十一月二十三日
月次祭 毎月二十八日

〜境内の看板より〜
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