鳥坂神社

鎮座地 奈良県橿原市鳥屋町字東浦1160

ご祭神 豊受比
 貝吹山から北にのびる丘陵の先端、鳥屋町の東に東面して、鎮座する。創立の年代は明らかでないが「延喜式神名帳」の鳥坂神社二座に比定されている。
 拝殿は切妻造瓦葺で、両袖に押し入れが付いている。昭和五十四年の改築。拝殿の向こうに祝詞舎があり、その向こう石階上の神域がある。三方ががっちりした白壁塀に囲まれ、正面は石造角柱の門をはさんで玉垣を連ねている。本殿は、春日造素木で、屋根は鉄板葺で、棟に千木鰹木がおかれてある。昭和五十五年の改築。
 祭神二座については、室町初期になる「五郡神社記」に「衝鳥坂二座 左高皇産霊尊 右天押日命也」をまつったのがはじめとあるが、道臣命はこの地に神府をつくって自らの二祖神の高皇産霊命とその子天押日命父子をまつったのがはじめと記している。
 「つきさか」とは「衝坂」または「桃花鳥坂」(つきとりさか)といわれたと『山陵志』にあり、今の鳥屋付近を指している。『大和志』には、当社が鳥屋村の東に鎮座、天照大神を祭神とすると記している。すでに江戸初期において天照 大神を祭神としてたことは、当社保存の棟札に「寛文元暦(1661)八月吉日天照皇太神宮」と記されていることによってわかる。明治以来、祭神が豊受比命になって今日に及んでいることは、明治二十七年の「明細帳」や昭和二十八年の「宗教法人法による届出書」によって知られるところである。いずれにしても当社が道臣命の創立であり、「延喜式神名帳」に二座と記されている点からみて、大伴氏の二祖神を祭神とすると考えられる。高皇産霊神は国土経営に、その子天押日命は天孫降臨の際大功あり、道臣命もまた大伴部を率いて神武天皇の東征を援げて功績のあった神であることは『記』『紀』の記すところである。
 境内社は九社あるが、いずれも社殿なく角石に神名が陰刻されているのみ。拝殿の南の小高い山腹に築かれた石階上に散在している三社。

春日大明神
祭神 天児屋根命

明治末年小字高松口から遷座

八王子大明神
祭神 五男三女神

大道東の山から遷座、明治十二年の明細帳には祭神不祥とある。

大木大明神
祭神 勾勾迺智命

字垣内郡村宅地より遷座。

 
 拝殿に向かって北側の末社は六社。
『高市郡神社誌』によると、北側に鎮座の弁財天と大土大明神以外の
末社は、寛文元年(1661)以降当社地へ遷座と記している。

弁財天
祭神 市杵島姫命

当初からこの社地に祀られ厳島神社ともいう。

若宮大明神
祭神 天押雲命

明治末年頃高松口から遷座。

大土大明神
祭神 大国魂命

当初からこの社地に祀られていた。

山王権現
祭神大山咋命

 元当社の拝殿北西の林の中に鎮座。明治十二年の「明細帳」には上主神社祭神大物主命と記されている。

牛頭天王
祭神素盞鳴命

八坂神社とも称し、字城の薮より遷座と伝える。

住吉大明神
祭神表筒男命

字垣内の郡村氏の宅地より遷座。
 境内に鎮座の祓戸さん。
幹が特に太いというわけでないが、上へ行くほどとても大きく、
境内を覆う勢い。辺り一面にとても気持ちの良い「気」を放つ。 


 例祭は十月十六日の夜宮祭と十七日の本宮祭のほか、三月十一日の春祭と十二月十六日の算用祭が行われる。
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