鎮座地 高知県高知市しなね二丁目16-1 ※アクセス JR土佐一宮駅より徒歩約15分 ご祭神 味 |
![]() 楼門(神光門) |
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| 御祭神は味 現在の社殿は元亀元年(1570)に長宗我部元親が再建したものであり、鼓楼、楼門は山内忠義(二代藩主)が建立、再建したものである。 本殿、幣殿、拝殿は明治二十七年(1904)に、鼓楼は昭和九年(1934)に、楼門は昭和五十七年(1982)に国の重要文化財に指定されている。 大祭は八月二十四、二十五日の俗に「シナネ様」と言われ、日中松明をつけて御神幸に従う行事で十数万の参詣人がある。 〜立札より〜 |
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楼門をくぐり、表参道より拝殿へ。 車で行くなら、楼門左側に参道と平行した進入路をいくと鳥居前に駐車スペースがある。 |
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| 鳥居をくぐると、右手に朱色の鮮やかな 鼓楼が見える。 |
![]() 鼓楼(国重文) |
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| 大国主命の御子であらせらせ、御称名も数多く土佐にます神、土佐高加茂大社・高加茂大明神などとも称えまつり日本書記によれば、創建年代は遠く上古時代とも言われます。とくに皇室の御崇敬あつく勅使の参向もしばしば有り、平安時代、朱雀天皇の御代・天慶三年(世紀940年)には神階を正一位に進ませられ、土佐の国総鎮守一の宮として当時は武門の崇敬厚く室町時代、正親町天皇の御代・元亀元年(世紀1570年)には長宗我部元親が本殿・幣殿・拝殿を再興し安土桃山時代、後陽成天皇の御代・慶長六年(世紀1601年)には山内一豊、封をこの地に享けるとともに以前の社領を免許し、二代忠義に至って摂社・末社を始め、鳥居・桜門・鼓桜を増築して土佐の国、最上の祈願所としました。 | |||||
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延喜の制が布告された平安時代、後醍醐天皇の御代(世紀901〜923年)には大社に列せられ、明治四年(世紀1871年)土佐神社と称して格を国幣社に列し、戦後昭和二十一年(世紀1946年)には永年つづいた神社制度は終わりを告げて宗教法人になりました。 |
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土佐神社の創始については、明らかではないが、境内東北方の礫石と呼ばれる自然石を鎮座として祭祀したものと考えられ、古代に遡ると言われている。 |
![]() 礫《つぶて》石 |
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| 礫石《つぶていし》の謂れ 古伝に土佐大神の土佐に移り給し時、御船を先づ高岡郡浦の内に寄せ給ひ宮を建て加茂の大神として崇奉る。或時神体顕はさせ給ひ、此処は神慮に叶はすとて石を取りて投げさせ給ひ此の石の落止る所に宮を建てよと有りしが十四里を距てたる此の地に落止れりと是即ちその石で所謂この社地を決定せしめた大切な石で古来之をつぶて石と称す。浦の内と当神社との関係斯の如くで往時御神幸の行はれた所以である。この地は蛇紋岩の地層なるにこのつぶて石は珪石で全然その性質を異にしており学界では此の石を転石と称し学問上特殊の資料とされている。
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![]() 西御前神社 御祭神 未詳 御神徳 家庭円満 祭日 三月二十八日、十二月二十日 |
土佐神社は、奈良県御所市に鎮座の |
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