津風呂春日神社(津風呂神社)

ご祭神 武甕槌命、経津主命、
    天児屋根命、比賣神

鎮座地 奈良県吉野郡吉野町大字津風呂


津風呂春日神社の由来
 ここは古く日本書紀に見える
「津振り」<つぶり>の地である。
約千三百年前(672年)大海人皇子(天武天皇)と、(盧+鳥)野皇女<うのひめのみこと>(持統天皇)が吉野離宮(宮滝)から御峠を越えてこの地に至り、隊伍を整えて宇陀から伊賀伊勢へと出陣せられた。世に言う「壬申の乱」の出発地点に当る。この時、ふる里の先人たちは車駕につき従ったと伝えている。

 中世、南北朝のはじめ南朝の忠臣牧堯観<まきのぎょうかん>の執事、津風呂筑後守従五位上平朝臣光季入道覚佛が治水産業をすすめ、天武天皇ゆかりのこの地に、鎮守の神として、
春日神社(祭神武甕槌命、経津主命。天児屋根命、比賣命)を造営し、五穀豊饒と村の繁栄を祈願した。
 爾来、津風呂は竜門庄の名邑となり神の守護のまにまに桃源境として永く繁栄と平和を続けて来た。ところが、近時国土綜合開発に伴う、津風呂ダムが築造されて村は水没することになり、集団移転地たる奈良市津風呂町に昭和三十六年四月二十九日春日神社は遷祀された。つづいて、祖霊の静かに眠るこのふる里を思慕して止まぬ区民は、昭和三十八年十月二十日春日神社の旧境内に分社を祈念することになった次第である。
昭和四十年十月二十日 旧津風呂区民建立

【津風呂春日神社・看板より引用】

 津風呂神社の看板裏側に、津風呂ダム建設に関しての手記が残されている。ダム建設の着手の話から、村を挙げての反対運動・建設反対の陳情に何度も足を運んだこと、時代の流れに逆らえず、やむなくふる里を離れていかねばならなかったこと等が、詳細にわたって記されていた。

 津風呂神社境内の樹叢には、サカキカズラの自然分布が見られるという。
 サカキカズラは、暖地性のキョウチクトウ科の常緑藤本で、台湾、九州、四国、本州の海岸沿の暖地性のみに分布する典型的な暖地性植物とされており、この辺りで見られるのは、きわめて珍しく、奈良県では始めての発見地であるとか。

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