都祁山口神社
つげやまぐち

ご祭神 大山祇命
    大國主命


鎮座地 奈良県奈良市都祁小山戸町



 小山戸の東方カモエ谷にご鎮座する。
小山戸明神とも称する。都祁山口神社の神主は都祁氏が代々伝えてきたが、清和天皇の貞観元年(859)伊勢の斉王であった括子<よしこ>内親王が都に帰られる途中、都祁頓宮に入られたとき、これに従ってきた藤原時忠がこの地にとどまって都祁頓宮麻呂の女婿となり、神主職を嗣いだといわれ、爾来都祁氏は藤原氏を名乗って神職を世襲していた。

 藤原氏は小山戸殿とも称されていたが、暦応年間(1338〜1342)伊勢の北畑氏に属して北と改姓、大乗院領小山戸庄の下同職とも兼務した。造営・祭祀費は、友田の都祁水分神社と同じく東山中七ヶ庄に賦課されたが、しだいに水分神社が優遇されるようになった。戦国の争乱により神社は衰微し、永禄〜天正(1558〜1592)のころには礎石を残すのみになった。北左京之進がこれを歎き、郷民を勧めて社殿を改修し、その後寛文(1661)年に社殿を造立した。

 摂社 大日霊貴命・歳徳神・恵比須大神
 末社 品陀別命・市杵島妃命

 例祭は10月25日、例祭が終わりに近くなって、都祁水分神社より御神輿の渡御があり、都祁七郷の称宜神社の役員関係者一同拝殿に担ぎ込まれた神輿を中心に、水分神の宿泊の準備にかかる。明二十六日御前10時帰還の途に就く。
 この儀式の由来は、天禄二年(971)水分神は旧暦九月二十五日この地より友田に遷座され、この地を上宮と呼び、友田の遷座地を下宮と呼んで、二十五日上宮に一泊、二十六日に下宮に遷御される慣例が生まれたと伝えられる。
ごしゃおの神石

 都祁山口神社の裏山頂上付近に通称「かもえ谷」と呼ばれる巨石崇拝の跡がある。この場所は、山口神社の奥の院と思われる山の尾根に位置し、村人は「ごしゃお」と呼んでいる。「ごしゃお」については、「御社尾」「五社尾」と漢字を当てるものもある。
 この巨石には鳥居があり、自然石の壇がある。巨石の前にある鳥居などは、その石に拘わる禁忌と結びついた塞神的性格を見せる古代祭祀跡であると考えられる。
 このごしゃおの神石に到る山道に「都祁直霊石」の文字を刻んだ標石がある。

村指定文化財・史跡【有形民俗】
指定年月日 昭和45年(1970)3月7日

森神さん もりがみさん

 都祁山口神社の社頭、鳥居より100メートル北に、三坪ばかりの雑木の叢林が水田の中に取り残されている。村人はこれを「森神さん」と呼んでいる。禁忌的神聖叢林である。
 「森神さん」と呼ばれる場所は、山口神社の裏山の巨石崇拝の跡「ごしゃおの神石」を祀る場所であったと考えられる。

村指定文化財・史跡【有形民俗】
指定年月日 平成9年(1997)7月29日
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