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| 宇太水分神社の創祀は太古まで遡ることができ、第十代崇神天皇七年二月の勅祭と伝えられている。また、大和朝廷の勢力範囲の東西南北に祀られた水分の神の東に当たるのが、当社である。 | |||||||||||||||||||||||||||||
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当社の由緒古伝については、永保元年(一〇八一)九月下旬に三宅尾嗣の記した『玉岡水分社縁起』、応保元年(一一六一)十一月三日記の『水分宮由来集』など後世の諸巻が伝えられているが、史料の根拠については考究の余地がある。この縁起によれば、大和国宇陀郡水分大明神は天照大神の分神であると説き、垂仁天皇の時代に大神宮の神職玉造村尾が神託に任せて、水分神体を大和宇陀郡に遷し、高山・西殿・中山・井谷(井足)に夫々社壇を構え、西殿の玉岡の鎮座を本社と定めた。 | ||||||||||||||||||||||||||||
| 元来、大和国宇陀郡は伊勢国の神宮御領の神戸を置かれたところで、その地にも神宮との関係が深い。神職玉造村尾は奈良・平安時代に玉を作ることを職務とした氏族の出身で、その部民は玉造部である。『伊勢風土記』には忌部玉櫛命の名が見え、大和国では旧磯城郡耳成村上品寺・山辺郡東里村無山・南葛城郡粟坂に玉作・玉造の地名が遺っている。 水分明神の鎮座した西殿の玉岡も祭祀の玉に関係ある地名であろう。 延喜式においては水分神社は河内・摂津にもあるが大和では吉野・宇陀・葛木・都祁の四処が神名帳に載せられている。これら式内の水分四社は大社(葛木は名明大社)にして、月次・新嘗の中祀に預かり、祈年祭には座別に 『新抄格勅符抄』によれば、すでに大同元年(八〇六)には神封一戸を寄せられ、承和七年(八四〇)十月七日には無位水分神に従五位下を、貞観元年(八五九)正月廿五日には正五位下をそれぞれ授けられ、同年九月八日には使を遣わして奉幣し、風雨を祈らせた。上記のように水分四社同じ待遇を受けているのである。 |
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| 宇陀郡は古市場(西殿)に宇太水分神社が鎮座しているが、当郡内には下井足・上芳野にも水分神社があって、式内の宇太水分神社を何れに当てるかについては古来諸説がある。 しかしこれらの水分社は創祀以来、相互に親縁の由緒を伝え全く別個に考証することはできない。広くみて各社ともに式内社の関係も考えられるのである。 そののち玉岡(古市場)を一郡の惣社となし、井谷田山と中山とを摂社となし、高水分を奥院となし、さらに田口を平尾の水分を末社となしたという。 |
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![]() 本殿 鎌倉時代 元応二年(1320)建造 |
本殿三棟はいずれも一間社隅木入春日造、檜皮葺。等間隔で横一直線に並んでおり、屋根の棟が連続しているという意味での連棟社殿ではないが、統一した計画のもとで建てられた社殿群で、「みくまり造り」と称す連結社殿の原初形式を示す。 昭和二十九年(1954)三月国宝指定 |
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| 境内の奥、東側に鎮座する、 金刀比羅神社。ご祭神は、大物主命。 |
![]() 境内社 金刀比羅神社 |
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![]() 古市場坐恵比須神社 |
宇太水分神社境内の東南部にあって、 事代主大神・蛭子之大神をまつる。 当社の創祀・由緒は不明であるが、はじめは西殿庄(古市場)の居屋鋪川原出に祀られた。この地から前川をはさんで地蔵辻(古市場西口)に至る約二〇〇メートルの間は三日・八日に朝市が開かれて繁昌し、実に当社は市場の守護神であった。 |
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| 元和年間に織田氏が松山城に拠ってから恵比須神社と三・八の市場を松山町下本に移し城下町の繁栄をはかった。かくして西殿荘に古市場の名称が起こった。爾来江戸時代の由緒は不詳であるが、大正十年に米谷勘治郎氏から旧社地の前方にあたる同氏所有地六七坪を提供せられたので、西宮神社から分霊を受け恵比須神社を復興した。 当社は旧正月七日を例祭とし、初市祭を卜定し、旧古市場商工会から神賑行事の積極的協力をうけて神威が賜った。昭和二十一年、宗教法人として宇太水分神社境内末社に登録せられた。 二月七日 末社恵比須神社例祭(初えびす) 二月を除く各月七日 恵比須神社月次際 |
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| 有霊石 参道右側にある地表へ、高さ一四〇×幅六〇×厚さ三〇センチメートル程度突出した少し青みのある石がある。根元は地下に埋まっている。俗に「ゆうれい石」といい、山の神の石でもある。反った石面が高見山の方を向いているので遙拝石にもなっている。 この石には丑の刻まいりの話が伝えられている。 |
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