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| 宇智神社 うち
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今井町の東南端、宇智川と吉野川の合流点の西、約400mの位置に鎮座する社で、式内宇智神社にあてられている。国生明神とも称する。 一説に、待乳山にあるというが、根拠薄弱である。祭神は定かでないが「神社覈録」や「神名帳考証」では『新撰姓氏録』の大和国皇別に「内臣孝元天皇皇子彦太忍信命之後」とある当地方に居住した内臣の祖神を祀ったのではないかという。 |
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| また『日本書紀』仁徳天皇五十年三月の条に 「天皇、是に、歌して武内宿禰に問ひて曰はく、たまきはる 内の朝臣汝こそは 世の遠人 汝こそは 国の長人 秋津嶋 倭の国に 鴈産むと 禰は聞かずや」 とあることから、武内宿禰を祀る神社ではないかともいう。 |
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| さらにまた、当社の俗称を国生と呼ぶことから伊弉諾命・伊弉冉命ともいうが、後世の付会で信じ難く、内臣の祖神とするのが妥当ではないかと考える。 | ||||||||||||||||||||
| 摂社の荒神社 | ||||||||||||||||||||
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| 『大和志』に、境内に安住寺あり。 文明五年(1473)の化縁簿は安住寺を以て、国生寺と作すとあり、当社東隣の安住寺は当社の神宮寺であったとみられる。 因みに『和名抄』に、山城国綴喜郡に有智郷があり、式内小社内神社(二座)がある。 |
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