夜支布山口神社
やぎうやまぐち

鎮座地 奈良県奈良市大柳生町3089

ご祭神 素戔鳴命
 この地は、上出の字神野といい、神社も通称
「神野宮」と呼ばれている。
 摂社立磐神社が「神野宮大明神」と呼ばれていたことが延宝五年(1677)の棟札に記されている。もとは大字上出の山口にあったものを、いまの神野の地に移したというが、その時期は明らかでない。
山口神社といえば、祭神大山祇神と考えられるが、ここでは素戔鳴命となっている。

入口横の看板より

 夜支布山口神社
 やぎう
 大柳生の氏神で平安時代の延喜式にもあらわれている古い社です。境内にある摂社立磐神社の本殿は、春日大社の第四殿を延享4年(1747年)に、ここに移したものです。この神社には、一年交代で集落の長老の家に神様の分霊をむかえる「回り明神」と言う、珍しい行事が伝わっており、700年の伝統をもつ大柳生の太鼓踊りが奉納されます。 
 祭礼は大柳生町上出・下出・塔阪・大西・上脇・下脇の人たちによって宮座敬神講が組織されて祭事に当たっている。
 町には回り明神の風習も伝えられている。太鼓踊は著名な行事で、県指定の無形文化財になっている。秋祭りには田楽が催され、楽人は「鼻がい」を口にかけて行う。
 本来は山の神(大山祇神)を祀ったものであるが、それが水の神、祈雨の神としても信仰されるようになった。大和には山口神社が十四社あるが、延喜式には大、月次、新嘗とあり、いわゆる式内大社となっている。
 しかも、夜支布山口神社は、他の山口神社よりも早く、嘉祥三年(850)に従五位下に叙せられ貞観元年(859)正月二十七日に従五位下勲八等を正五位上に昇叙し、同年九月八日には養父(やぎゅう)山口神に使いを遣わし幣を奉り、風雨の祈願をされている。このことは『文徳実録』『三代実録』などに表れている。奈良の東山中で、重要視された神社といえる。明治六年には郷社に列せられている。
 社務所の後方にりっぱな古墳があり、刀剣などを出土している。宝物に弓・大刀・太鼓などがあるが、また十六善神画像や大般若経などもある。台般若経六百巻は、写本と版本が混在しているが、建長四年(1252)・正和元年(1312)・応永七年(1400)をはじめ、室町時代のものがかなりある。

境内社は立磐神社のほかにも、祓戸大神をはじめ
春日神社(天児屋根命) 春日若宮社(天押雲根命)戸隠神社(天手力男命)
靖国神社(靖国英霊)  八幡神社(品陀別命)などがあり、
さらに境内の山の中に
白山神社(白山比メ命) 宗像神社(市杵島姫命) 御年神社(大年神・御年神・若年神)
津島神社(須佐之男命) 住吉神社(中筒男命)などがある。
境内はとても広い。二本の杉が並んでいる間を通って、
そのまた奥へと境内社が続いている。
立盤神社
たていわ
 摂社立磐神社(天手力男命)は、古くからこの地に鎮座し、巨石を御神体としてきたが、のちに社殿が設けられた。この社殿は延享四年(1747)に、春日大社の第四殿を賜ったもので、重要文化財に指定されている。

社殿前の立札より

 国指定 重要文化財 立盤(たていわ)神社

 社殿形式 一間社春日造桧皮葺

 建立年代 江戸時代享保十二年(1727)

 祭神 天手力男命

 当社地は立岩に神霊が宿る霊地として巨石信仰の古代から崇拝され、立岩の前には早い時期から社殿が建てられていたが後世に山口神社が当社地ヘ移され立盤の神が摂社となった神社である。春日大社蔵の記録及び社殿から発見された墨書きによると現社殿は春日大社享保御造替時に新造卯された本社本殿の第四殿を延享御造替時(1744〜1747)に当地へ移譲されたものである。社殿は切妻造妻入の正面に軒の付いた古い形式をよく傅え、また当初材が多く残り移建の事情も明らかな点に注目すべきものがある。

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